8/27(火) 午前0:35-午前1:20
交通事故で年間3千人が命を落とす日本。その中で今、注目される技術がある。カメラなどで衝突の危険を察知して車を自動で止める「衝突被害軽減ブレーキ」のシステムだ。これを世に広めたのは中堅メーカーで仏と呼ばれた上司と歯に衣着せぬ言動で物議を醸していた技術者。あらゆる環境に対応しようと日本全国の道路を走り込み完成させた。交通事故による死亡者をゼロにという途方もない夢を目指しつづける執念の物語。
目次
テーマ
1990年代の日本で交通事故が多発する中、富士重工業(現スバル)が安全運転支援システムの開発を開始。様々な困難を乗り越え、自動ブレーキシステムの開発に成功。この技術により事故率が大幅に減少し、世界中に普及した。
要点
- 90年代、日本の交通事故死者数は年間1万人以上で「交通戦争」と呼ばれる状況だった。
- 富士重工業の小さな開発チームが、2台のCCDカメラを使用した運転支援システムの開発を開始。
- 経営悪化により開発予算が大幅削減されたが、自動ブレーキシステムの開発に方向転換。
- 夜の雨天時の認識が最大の課題となったが、テールランプの認識に焦点を当てることで解決。
- 2010年に完全停止を実現し、搭載車の事故率を6割減少させた。
- 世界で累計600万台以上を売り上げ、日本車への搭載が義務付けられるまでに至った。
ハイライト
"システムを出すことがゴールじゃなくて、事故を減らすところがゴールだから。"-- 柴田栄一
"それを,お前が考えるんだ。"-- 今野利博
"我慢を信じて、歓声を待ち続けた。"
"これだったら二人で旅行にも行ける。"-- 《定年後に車を購入してくれた夫婦のメール》
章とトピック
- 交通事故削減のための車の安全システム開発1990年代の日本で交通事故が多発する中、富士重工業(現スバル)が安全運転支援システムの開発を開始。当初は警報機能のみだったが、予算削減や存続の危機を乗り越え、自動ブレーキシステムの開発に成功。この技術により事故率が半減し、後にヨーロッパやアメリカにも広がった。
- 90年代、日本の交通事故死者数は年間1万人以上で「交通戦争」と呼ばれる状況だった。
- 富士重工業の小さな開発チームが、2台のCCDカメラを使用した運転支援システムの開発を開始。
- 開発リーダーの今野利博と生意気な技術者の柴田栄一が中心となり、プロジェクトを推進。
- 2003年に8つの機能を持つシステムを発売したが、売上は低迷。
- 会社の経営悪化により開発予算が20分の1に削減され、プロジェクトの存続が危ぶまれた。
- 柴田の決意と残ったメンバーの努力により、自動ブレーキシステムの開発に方向転換。
- 補助金獲得や若手技術者の貢献により、プロジェクトを継続。
- 自動ブレーキシステムの開発課題自動ブレーキの開発には、様々な道路状況での正確な作動が求められた。特に夜の雨天時の認識が最大の課題となったが、テールランプの認識に焦点を当てることで解決した。
- 自動ブレーキは高い精度の認識が必要
- 様々な道路状況でのテストを実施
- 夜の雨天時の認識が最大の課題
- テールランプの認識に焦点を当てて解決
- プロジェクトの成功と影響2010年に完全停止を実現し、搭載車の事故率を6割減少させた。世界で累計600万台以上を売り上げ、日本車への搭載が義務付けられるまでに至った。
- 2010年に完全停止を実現
- 搭載車の事故率が6割減少
- 世界で累計600万台以上を売り上げ
- 日本車への搭載が義務付けられる
まとめ
- 困難な状況でも、顧客の声に耳を傾け、真のニーズを把握することが重要。
- 技術開発において、目標を明確にし、チームの結束力を高めることが成功の鍵となる。
- 困難な課題に直面しても、粘り強く取り組み続けることが重要
- 技術開発は顧客のニーズと安全性を常に意識することが重要
全てをご覧になりたい方は、NHKオンデマンドをご視聴ください。
コメント