2024年 8/6(火) 午後10:00-午後10:54
原爆投下により壊滅的な被害を受けた広島。その中で、被爆直後から医療活動を続け、負傷者が殺到したのが広島赤十字病院だ。NHKは、「いのちの塔」とも呼ばれた病院で、医療活動の指揮をとり続けた院長・竹内釼が残した手帳を入手した。番組では、竹内資料などをもとに、被爆直後の医療現場の最前線を追体験していく。人類が初めて直面した核兵器の脅威、それに対峙した医療従事者たちの視点から、被爆の実相に迫る。
目次
テーマ
広島赤十字病院は原爆被爆後も機能を維持し、多くの被爆者を治療した。国際的な支援も受け、医療活動を続けた。
要点
- 広島赤十字病院は爆心地から2キロの位置にあり、倒壊を免れた。
- 病院には一万人もの被爆者が押し寄せた。
- 医療従事者たちは未知の症状に対処しなければならなかった。
- 竹内健は病院の復旧のために様々な手を尽くした。
- 国際赤十字委員会のジュノー博士が医療支援に駆けつけた。
- 不足していた包帯、輸血のための乾燥結晶など、総量15トンの支援が行われた。
- 広島の街ではアメリカの軍人や科学者たちが調査を始めた。
- 赤十字病院は広島の人々のよりどころとなり、命の塔と呼ばれるようになった。
- アメリカは原爆の効果を調査するために広島に科学者を送り込んだが、医療支援は継続されなかった。
- 現在も医療従事者たちは放射線が人体に与えた傷と戦い、被爆者の治療を続けている。
ハイライト
"人々はそこを命の塔と呼んだ。"
"人の命の大切さを全うするために、だからこそいろんな、例えばABCCのことについても協力をすることができる。"
章とトピック
- 広島赤十字病院の被爆後の状況広島赤十字病院は原子爆弾の爆発後も倒壊を免れ、多くの被爆者が押し寄せた。医療従事者たちは未知の症状に直面しながらも、命をつなぐために奮闘した。
- 広島赤十字病院は爆心地から2キロの位置にあり、倒壊を免れた。
- 病院には一万人もの被爆者が押し寄せた。
- 医療従事者たちは未知の症状に対処しなければならなかった。
- 病院長の竹内健は重傷を負いながらも指揮を執った。
- 554人の医療従事者のうち、250人が重軽傷を負い、51人が亡くなった。
- 看護学生22人が亡くなり、特に被害が大きかった。
- 病院内は患者で溢れかえり、医療資源が不足していた。
- 被爆者の症状と治療被爆者たちは切り傷や火傷、放射線障害など複合的な症状に苦しんだ。医療従事者たちは限られた資源の中で治療を行い、多くの命を救おうとした。
- 被爆者たちはガラス片による切り傷や火傷、放射線障害に苦しんだ。
- 病床日誌には詳細な症状と治療の記録が残されている。
- 放射線の影響で高熱や下痢、破傷風などの症状が現れた。
- 医療従事者たちは限られた資源の中で治療を行った。
- 多くの患者が命を落としたが、医療従事者たちは懸命に治療を続けた。
- 医療支援と復旧活動竹内健は病院の復旧と医療支援を求め、国際赤十字委員会のジュノー博士が支援に駆けつけた。医療資源の不足を補い、病院の機能を回復させるための努力が続けられた。
- 竹内健は病院の復旧のために様々な手を尽くした。
- 国際赤十字委員会のジュノー博士が医療支援に駆けつけた。
- 医療資源の不足を補うために、アメリカ軍の医薬品が届けられた。
- 竹内健は病院の状況を広く知らせるために動いた。
- 広島への国際支援広島は国際的な支援を受け、アメリカの軍人や科学者たちが調査を始めた。
- 不足していた包帯、輸血のための乾燥結晶など、総量15トンの支援が行われた。
- ジュノーは支援の継続を表明。
- 広島の街ではアメリカの軍人や科学者たちが調査を始めた。
- 赤十字病院の役割赤十字病院は広島の人々のよりどころとなり、命の塔と呼ばれるようになった。
- 赤十字標識を見やすいところに掲げた。
- 赤十字マークを建物にも掲げ、塔の上に旗をたなびかせた。
- 命の塔と呼ばれるようになった。
- アメリカの調査と支援の停止アメリカは原爆の効果を調査するために広島に科学者を送り込んだが、医療支援は継続されなかった。
- ファレル将軍は残留放射線や原爆の効果の調査を希望。
- 軍の輸送機を使って医療金を広島に届けた。
- 調査団は救済用の医療金を配付する名目で広島に送られた。
- GHQはプレスコードを発表し、原爆について批判的な報道を封印。
- 医療従事者たちの戦い医療従事者たちは放射線による症状と戦い続けたが、理解できない死が相次いだ。
- 皮膚の出血犯や脱毛、歯茎からの出血などの症状が放射線によるものであることが明らかに。
- 理解できない症状が記されている。
- 戦地で病を得て入院中に被爆した26歳の記録。
- 若い医師が病室で自ら命を絶った。
- 竹内の役割とその後竹内はアメリカの研究者と協力し、広島での研究を支えたが、その目的は被爆者の治療には役立たなかった。
- 竹内はアメリカの研究者と関係を築き、ABCC原爆障害調査委員会の会議に参加。
- アメリカは原爆の健康影響について研究を進めようとしていた。
- 竹内は広島での研究拠点を提供。
- 竹内は辞職後も広島に留まり、開業医として被爆医療の研究を支えた。
- 広島赤十字原爆病院の現在現在も医療従事者たちは放射線が人体に与えた傷と戦い、被爆者の治療を続けている。
- 広島赤十字原爆病院は今なお被爆者の治療を続けている。
- ウクライナの医療従事者が病院の経験を聞きに来た。
まとめ
全てをご覧になりたい方は、NHKオンデマンドをご視聴ください。
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